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謎だらけの鹿踊り団体でした…が、最近山雀流の秘伝書が世に出まして、謎がどんどん解明されてきました。山雀流発祥は一関市舞川(旧舞草村)の佐藤三郎右衛門…。大元は行山流躍で元祖は入谷四郎兵衛…入谷村→水越村→横山町?→上沼村→舞草村…舞草の初代は佐藤文右衛門、二代佐藤伊左衛門(文右衛門の子)…しかし伊左衛門は亡くなり、三郎右衛門が文右衛門から伝授される…。舞草3代の三郎右衛門等が屋形様の上覧を受け山雀流の流儀を拝領とある。山雀流は東山磐井里と松川岩ノ下にも存在してたが、岩ノ下は磐井里からの伝承という事がわかっている為、今後は舞草と磐井里との繋がりを調査したい所だ…。 この大元の行山流躍はいまの舞川と同じ流れ…そして三ケ尻とも同じ流れである。 入谷の四郎兵衛は行山の元祖という立場にあるが…山立勘太郎も行山元祖とある…ただ、勘太郎の伝書には兄四郎兵衛ともある…いまとなってはどこまで調査できるかわからないが、中々面白い事になるのかもしれない…。いずれ更に泥沼にハマった感じだ。
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