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装束類の新調について…

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2022年 3月23日(水)21時53分6秒
  金津流石関獅子躍ではやっと装束類の新調に取り掛かります…復活し20年…流石に傷みが激しい…弟子の為にも新しく…そして伝承活動が活発になる事を願い…まぁ作るのは弟子ですが…私は段取をしたので…今年中には完成し御披露目できると思います…新調に際し、多少の拘りを持って染め物等頼んだので、石関特有の物ができますので、若干見た目が変わります…まぁ昔の物に近づけたものになります。  
 

訃報…

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2022年 2月 8日(火)09時53分7秒
  金津流梁川獅子躍庭元の平野幸男さんが亡くなられました…新聞では86とあります。平野重男・幸男親子は金津流獅子躍の発展に尽力し、その名を轟かせ、金津流獅子躍は今日まで立派に伝承されてきたのであります。 石関が復活できたのも、梁川の地でしっかり保存・伝承されてきたからに他ならないのであります。 幸男さんには何度か褒められた事がありました…。深いお付き合いをしていたわけでもありませんが、今更になり金津流獅子躍について語ってみたかったと後悔しております。 心よりお悔やみ申し上げます…。 金津流石関獅子躍一同  

新年明けましておめでとうございますm(_ _)m

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2022年 1月17日(月)21時08分48秒
  既に半月過ぎてしまいました…昨年も厳しい年であり、中々思うように活動できませんでした…今年こそはという時にまたまたコロナ…心が折れそうです…そして弟子のモチベーションも上がりませんね…という事で、今年は装束・道具類を新調します! 染物は終わってますから仕立…準備やら忙しくなりそう…先日は茣蓙切りをしました…鹿頭も新しく…。 踊り初めは1月30日…2月から練習開始です。 今年も金津流石関獅子躍をどうぞ宜しくお願い致します。  

山雀流鹿子躍

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年11月20日(土)22時05分57秒
  謎だらけの鹿踊り団体でした…が、最近山雀流の秘伝書が世に出まして、謎がどんどん解明されてきました。山雀流発祥は一関市舞川(旧舞草村)の佐藤三郎右衛門…。大元は行山流躍で元祖は入谷四郎兵衛…入谷村→水越村→横山町?→上沼村→舞草村…舞草の初代は佐藤文右衛門、二代佐藤伊左衛門(文右衛門の子)…しかし伊左衛門は亡くなり、三郎右衛門が文右衛門から伝授される…。舞草3代の三郎右衛門等が屋形様の上覧を受け山雀流の流儀を拝領とある。山雀流は東山磐井里と松川岩ノ下にも存在してたが、岩ノ下は磐井里からの伝承という事がわかっている為、今後は舞草と磐井里との繋がりを調査したい所だ…。 この大元の行山流躍はいまの舞川と同じ流れ…そして三ケ尻とも同じ流れである。 入谷の四郎兵衛は行山の元祖という立場にあるが…山立勘太郎も行山元祖とある…ただ、勘太郎の伝書には兄四郎兵衛ともある…いまとなってはどこまで調査できるかわからないが、中々面白い事になるのかもしれない…。いずれ更に泥沼にハマった感じだ。   

のほさん、ありがとうございます!

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年10月19日(火)09時19分49秒
  調査は直接地元で聞かなきゃわからない事や、一方向から調べてもわからない事って沢山あります…色んな方向や推測、点を導き出して、点と点を繋げなければなりません…それが簡単に見つかる場合もあれば、何年経っても見つからない物もありますね…私がやってる事はただの自己満足かもしれませんが…中には調査を進めない方がよかったと思う事もあります…歴史を紐解くのはまぁ時間がかかりますね…。  

次に繋がる事を

 投稿者:のほ  投稿日:2021年10月18日(月)22時03分2秒
  昨日の奉納はお疲れ様でした。現地へは行けませんでしたが、心運ばせて頂きました。ありがとうございます。
一昨日は南三陸町の波伝谷というところへボランティアで行って来ました。お隣りの地区は水戸辺でした。車を走らせながら、鹿踊に繋がる地名が多いこと多いこと!南三陸~一迫はいつも胸熱になってしまいます。残念ながら欲しい情報を得る事はできませんでしたが、南三陸への活動は継続です。

何も無いからと何もしないのではなく、「何も無いから何かをやってみよう」「次に向けた準備をしよう」という気持ちが大事なのでないかと感じています。
30年近く、仏教を学ぶ機会を頂いていますが、ちょっと歩みを止めたら、最初に戻っている事に気が付きました。動いていれば何かが見えてくるはず。マニアさんのお言葉に沢山の踊り手さんが心動かれる事を祈っております。
 

花巻鳥谷崎神社奉納

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年10月17日(日)14時05分24秒
  本日は花巻鳥谷崎神社さんの御好意により、神社奉納をしてきました! 石関復活時から毎年欠かさず奉納させていただいてます。今回は単独ではなく、野手崎獅子躍さんと合同でした。パラパラと雨が落ちる中無事奉納できてよかったです。何故今頃?と思うかもしれませんが、本当は9月中にやりたかったんですが、県緊急事態宣言解除を待っての奉納でした。コロナ終息も願いますが、何と言っても神様への感謝と挨拶を第一に…来年こそは鳥谷崎神社さんの例祭も盛大に行われる事を祈っております…雨風の中踊り手の皆様大変お疲れ様でした…そして何処から聞きつけたのか?見に来ていただきました皆様方には感謝申し上げます。 芸能の見直し…何の為に踊るのか? 芸能団体の皆様におかれましては練習も満足に出来ず公演もない状態もあると思いますが、勇気を出して行動してみませんか? 10年20年後も今ある芸能が続いていけるように…芸能は心身を鍛え心を穏やかに過ごせます…どうか嘆かないで芸能を見つめ直し前進して欲しい…。  

行山流舞川鹿子躍

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年10月14日(木)17時04分2秒
  元禄13年(1700)に本吉郡水戸邊村の伊藤伴内持遠から行山流鹿子躍之由来を授かる…伝書には行山根元という印が押されている。伊藤は弟の五郎・三介と本吉郡平磯村の平九郎に伝授…享保2年(1717)平九郎の父平六から相川村馬洗渕の吉田猪太郎へ九曜御紋の免状を授かる…平九郎からも吉田猪太郎へ伝授されている。この系統は42の庭数と記載があるようにその隆盛さがわかる。以後脈々と伝承され恒常的に踊られる…昭和期戦前戦後ふるわず、昭和31年(1956)復興して現在に至る。 ただ謎が多い所もあり、調査は継続している。 最古の碑は寛政10年(1798)である。 現在は舞川の踊り手が東京で団体を結成し活動が盛んであると同時に、平成に復活した水戸邊・佐沼との交流も深めている。  

金津流伊手獅子躍

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年 9月28日(火)16時14分52秒
  明治36年(1903)に梁川の佐藤亀治等から伊手の渡辺八百吉等が伝授された…ただ最古の碑は明治34年(1901)である…二代目は人が揃わず梁川から踊り手を借りて踊っていたとか、相伝ならなかったという話が聞こえるが、二代の供養碑は現存する…大正11年(1922)である。時が経ち三代結成の際、師匠老齢のため再び梁川から伝授されるが、一番苦労話が絶えなかったようである。三代相伝は昭和32年(1957)・四代相伝昭和47年(1972)…供養碑は見受けられない…五代相伝平成7年(1995)で立派な供養碑が建立され、三代四代の師匠も刻まれた。五代により地元の保育所・小学校・中学校で伝承活動が行われている。現在六代目で中高生も入り若々しい踊りを見ることができる。  

奥山行山流清衡鹿踊

 投稿者:鹿踊マニア  投稿日:2021年 9月20日(月)21時12分29秒
  平成6年(1994)に地ノ神鹿踊の中立であった中島清登氏が、旧江刺市役所職員で立ち上げた団体…平成9年(1997)1月には当時の江刺市長より『清衡』をつけるのはどうかという事で、奥山行山流清衡鹿踊が誕生する。実は私が最初に関わった鹿踊団体でもあり、平成9年~平成14年の5年間庭を共にしており、11年~14年まで中立を勤めていた…平成31年3月に休止となる…今後どうするかの話し合いをする直前にコロナ禍となり話はまったく進んでいない。  

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