掲示板(戦国大名二階堂氏の興亡史)
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過去帳について
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 9月 7日(水)19時50分57秒
返信・引用
以前、掲示板に自分の先祖の過去帳を調べたことについて書き込みをしたことがありましたが、江戸時代の過去帳というのは調べるといってもかなり困難が伴います。
何れにしても、アンバンチさんは現地に行って調べられない状況なので住職さんからの報告待ちですね。
ありがとうございます
投稿者:
アンパンチ
投稿日:2005年 9月 7日(水)18時57分2秒
返信・引用
おじゃまします。こんばんは。ありがとうございます。
早速手続き致しました。役所で聞いたところ曾祖父の親の親までの除籍謄本が残っていたので、取り寄せる手続きをしました。
お寺にも過去帳の件で、お願いの手紙と返信封筒を送りました。歴史は古いみたいなのですが、小さなお寺で、只今住職さんは選挙運動中とのこと・・・どこまで調べてもらえるのか不安が残ります。
でも、歴史ってロマンがありますよね。源次郎さんが熱心に研究されているのが、とてもわかります。
アンバンチさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 9月 7日(水)07時37分40秒
返信・引用
編集済
それで良いと思います。もしかすると曾祖父母の親の親までたどれるのかな。明治以降に亡くなっていればあるはずです(保存期間が過ぎて破棄されていなければ)。それ以前のことを知るには、家に家系図がなければやはり過去帳が重要です。
こんばんわ。
投稿者:
アンパンチ
投稿日:2005年 9月 7日(水)00時10分40秒
返信・引用
アドバイス、ありがとうございます。源次郎さんのところに書き込みをさせて貰ったおかげで、とても社会勉強になります。
「除籍謄本」ですか・・・取り合えず、役所に電話して聞いてみようと思います。
ただ、私の曾祖父は父が子どもだったころの昭和に亡くなっているようです。
大正生まれの祖父母の名前はわかりますが、曾祖父母は父に聞いたらわかると思います。
この場合、曾祖父母の除籍謄本を申請すればいいのでしょうか?
アンバンチさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 9月 6日(火)18時56分2秒
返信・引用
あと家系を調べるには「除籍謄本」を市町村役所から取り寄せるということも重要です。祖父母名が分かっていれば、その除籍謄本を取り寄せるべきです。そうすると祖父母の親つまりあなたにとっての曾祖父母について知ることが出来るはずです。おおよそ江戸時代後期の生まれで明治時代になって亡くなった方です。市町村役所のホームページから申請用紙をとれるようになっている市町村もありますが、直接当該の市町村役所に問い合わせてみても良いでしょう。申請の目的は家系調査と書くと受け付けてくれない所もあるようで、墓石建立のためとかにすると無難なようです。あと直系の子孫でないと申請できないという規定がある所もあります。あと保存期間が80年となっているので必要であれば速やかに収得される方がよいでしょう。
二階堂家の家紋ですが、これも多岐にわたっていて、私が知っている限りでもクルス紋を家紋にしている二階堂家もいました。家紋が左三つ巴ということなので二階堂家の家紋としては普通なのかなあ。私も全部は知りませんが。前出の「由緒書上」には家紋に関する記述はありませんでしたね。
こんばんは
投稿者:
アンパンチ
投稿日:2005年 9月 5日(月)22時08分54秒
返信・引用
おじゃまします。わかりやすく訳してくださり、感謝しています。ありがとうございます。
今日、なんとか「ココだろう・・・」というお寺を役場に問い合わせて調べました。
お寺にも連絡が取れ、一応調べてくれるようですが、ここまで来て「残念〜★」となればガッカリします。
なぜ、私が父方のご先祖様が気になるかというと、父の兄弟の子どもはみんな女・・・お墓は小高い山中にありみんな嫁ぐ身、いずれはお墓をみる人間がいなくなるだろうな・・・ということからなのです。私が生きているうちは、遠くからでも手を合わせたいと思っています。
ひとつ思い出したのですが、家紋は左三つの巴の丸囲いナシです。
亡き祖母が「伊達のお殿様についてきたとか・・・」と言っていたこと、祖母も子供の頃に聞いたと言っていたので、おぼろ気だったのかもしれません。今となっては死人に口なしです。
お寺の過去帳を頼るしかないのでしょうね。又、書き込みさせていただきます。
ありがとうございました。おじゃましました!
報告します(1)
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 9月 4日(日)23時46分14秒
返信・引用
今日、額田城跡に行ってきました。近くに、額田神社がありまして(平城天皇の御代、大同元年)、造営は佐竹昌義ということです。近くに住んでおられる老人の方に、いろいろと、お話しを聞くことができました。額田神社の初代宮司は白石彦次郎義勝(文明元年)で、現在20代白石頼茂ということで、白石一族の末裔の方の存在が確認できました。また、永井氏についてですが、老人の方の知人で永井さんという方がいらっしゃるそうで、常陸太田市小島町には、永井姓の方が大勢いらっしゃるそうです。
アンバンチさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 9月 4日(日)08時24分38秒
返信・引用
「私が生まれた国は山城国(京都府南部)であります。いずれの家中にも奉公していませんでしたが、祖父二階堂宗佐が元和二年(1616)より当家に奉公致し知行二百石をいただきました。祖父の家督は私の親孫助が継ぐことが認められ同じく奉公しておりましたが、寛永十七年(1640)に亡くなりました。引き続き知行二百石は私がいただいておりましたが、母方の祖父が御算用不足につき自分も知行を召し上げられ、ただいまは御職膳として八人扶持をいただいて、御扈従間に奉公いたしております。」
分かり易く読み下したつもりですが、理解できますか。
吉田町は宇和島藩(伊達家)の支藩吉田藩がおかれた地ですね。
宇和島藩祖伊達秀宗(伊達政宗の長庶子)は元和元年(1615)三月十八日伊予国宇和郡十万石を与えられ丸串城に入部しています。また明暦三年(1657)七月二十一日秀宗の五男宗純に吉田藩三万石が分封されています。
ただ宇和島藩士の二階堂家は、古くは山城国に居住していて、その後宇和島藩に仕えたとあり、アンバンチさんの先祖の仙台から来たという伝承とは一致しないようですが。
いずれにしろ現地に行って調べないと正確なところは分からないということです。
こんにちは
投稿者:
アンパンチ
投稿日:2005年 9月 3日(土)17時10分25秒
返信・引用
先日はご丁寧なお返事、ありがとうございます。
父方の実家は後を継いだ叔父も亡くなっており、残念ながら詳しい話を聞ける人間はいません。
父にお寺を聞いたのですが、町の小さなお寺ということだけしかわからず、ネットで調べた地図にも載っていませんでした。このお寺にお世話になったのも30年近く前なので、現地に足を運ばないとわからない状態です。
私は主人の転勤のため現在富山県にいてまして、小さい子どもが2人いてるので愛媛まで足を運ぶのも難しいです。
源次郎さんが書いてくださった資料、もしかしてご先祖様と関係があるのかな?と思いました。というのは、お墓は吉田町(現・宇和島市)にあるからです。
それと・・・書いてくださった資料なのですが、いまいちどんな内容なのか理解できないので、簡単でいいですので教えていただけないでしょうか?
すみません・・・m(__)m
丸ちゃんへ
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 9月 2日(金)18時09分19秒
返信・引用
お久しぶりです。家系図にある白石と永井伊賀守がどうつながりがあるのか、調べています。茨城県那珂市に額田という地区がありまして、鎌倉初期に、佐竹義重の子、義直が鎌倉初期に館をかまえた額田城跡があります。また佐竹白石につながる元は、義重の弟南酒出義茂です。酒出地区も近接しております。額田氏はその後に額田小野崎氏となります。周辺に永井の不動尊があるということを最近知りました。あまり有名ではない永井氏のことも、同時に調査していきます。また新しい情報が入りましたら、書き込みますので見てください。
源次郎さんへ
私はホームページが無いので、この掲示板利用させてください。よろしくお願いします。
あきんどさん・ねこりんさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月31日(水)17時52分20秒
返信・引用
編集済
浅学の私では、あまりお力になれなかったと思います。自分でも色々と調べてみてください。
ありがとうございました
投稿者:
ねこりん
投稿日:2005年 8月31日(水)16時58分31秒
返信・引用
4のところに行ってみたらありました。なるほどー。私は寺池の方です。地名までずばっとでてましたね。すっきりしました。ありがとうございます。
ご報告です。
投稿者:
あきんど
投稿日:2005年 8月30日(火)23時20分35秒
返信・引用
お久しぶりです。
源次郎さん
以前、お邪魔しました。あきんどです。
よくやく時間がとれ、教えて頂いた『須賀川市史編集資料第20集』の写しを
取り寄せることができました。
その結果、とりあえずは
現時点で自分が必要と思われる資料はこれで補完できました。
ありがとうございました。
ありがとうございます
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月30日(火)07時44分40秒
返信・引用
さっそく那珂町史を取り寄せます。
夢
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 8月29日(月)19時59分22秒
返信・引用
夢の山門のつづきを、お話します。我が祖の菩提寺の墓の中に、次のように刻まれている墓石があります。「新羅三郎源義光之正流、佐竹中務之丞忠尭末流、白石斎兵衛義辰行年四十五歳」義辰は宝暦十年(1760)没です。永享九年(1437)、持氏は南酒出一族の白石中務丞に対して、感状を与えている。「義人家譜」、また加志村氏は鎌倉時代の御家人二階堂伊賀氏の子孫で加志村(大宮町)を支配していた。応永二十四年、持氏は二階堂伊賀入道に対し、禅秀の乱における軍功を賞して感状を与えている。等・・・・
時代背景は以上です。この資料は、茨城県那珂町史からです。この信憑性の確認と、その後の加志村氏(樫村氏)の調査が私の課題です。
返事はまだ来ません
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月29日(月)18時55分40秒
返信・引用
丸ちゃんからメール待っているのですが、返事はまだです。
二階堂加志村氏とは樫村氏のことと思うのですが、常陸国の二階堂氏についてそこら辺のことは私もあまり存じていませんので、自分でも調べてみたいのですが、参考とした書籍名をよかったら教えていただけませんか。
ご無沙汰しています
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 8月29日(月)16時22分49秒
返信・引用
丸ちゃんとの交流がもてないのですが, 常陸の国へ行き調査をつづけております。白石志摩守宗義の館跡の近くに、二階堂加志村氏の館跡があります。二階堂行政の子、行村が那珂西郡久慈東西郡沙汰人として名があり、行村の三子を行義といい、その子義賢(伊賀守)とあり、義賢の妻は、宇佐美祐政の女であり、義賢の子、義継(加志村地頭)その子義員(長寿丸、加志村地頭)、義員の妻(覚法尼)、義員の子行光、その子行元、ともに加志村地頭とあり、この辺の通説を掘り起こせば、丸ちゃんのところにある古文書と、私のところにある古文書(栃木県文書館)のトンネルが開通するような気がします。
ねこりんさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月28日(日)13時19分41秒
返信・引用
編集済
この掲示板の過去の履歴をクリックすると、宮城県登米郡や栗原郡の二階堂氏についてHAZUさんが過去に記載したものが見られます。
宮城県や岩手県の二階堂氏も遡れば須賀川二階堂氏と同族ですが、すでに鎌倉時代にはそれぞれ別の系統として発展したと考えられます。直接的には関係が無いと思った方が良いでしょう。
森岡 浩編の『日本名字家系大辞典』には沢辺二階堂氏とあり、正治年間(1191〜1201)に二階堂常信が栗原郡沢辺(宮城県栗原郡金成町)に住んだのが祖で、のち葛西氏に圧されて霞館(岩手県一関市黒沢)に転じたとあります。
はじめまして
投稿者:
ねこりん
投稿日:2005年 8月27日(土)21時42分1秒
返信・引用
宮城の北部に住んでいる二階堂です。ずっと以前に、図書館の氏姓辞典で、葛西家のもとで大肝入というのを先祖がしていた、とあったのを見たことがあります。本家の本家には家系図などがあるようですが、よくわかりません。先日このサイトを見て二階堂神社というのがあるのを知って、父と一緒に須賀川市に行ってみました。翠ヶ丘公園や市の資料館はすぐわかりましたが、二階堂神社がわからなくて資料館の方に聞いてやっと行き着きました。須賀川市は見るものがたくさんあって面白いですね。シーズンを逃したので今度は牡丹園に行ってみたいです。とはいえ、私のご先祖と何か関係はあるのでしょうか。それとも偶然苗字が同じなだけで、全然関係ないのでしょうか??
アンバンチさんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月27日(土)20時56分14秒
返信・引用
訪問ありがとうございます。
『宇和島藩庁伊達家史料四 家中由緒書上』の中の「明暦元年由緒書上」に二階堂午之助とあります。その内容は「私生国、山城。何方へも御奉公不仕候。祖父二階堂宗佐、元和二年より御奉公仕候。御知行二百石被下置候。祖父跡目無相違、私親孫助に被下置、御奉公仕候。寛永十七年に相果申候。其已後、右之二百石私に被下置候処、母方之祖父御算用不足に付被召上、唯今者御職膳にて八人扶持被下置、御扈従間に御奉公仕候」とあります。アンバンチさんのご先祖は仙台から愛媛に来たということですので、これとは別の二階堂家ですかね。お寺に過去帳が残っていると思うのですが調べられましたか。
はじめまして・・・
投稿者:
アンパンチ
投稿日:2005年 8月26日(金)22時20分24秒
返信・引用
はじめまして。おじゃまします。
ここにおじゃまさせていただいたのは、とても気になることがあったからなのですが・・・
私の父方の実家は愛媛県にあります。
江戸時代の年号が入った古いお墓に二階堂と名字が刻まれています。
亡くなった祖母の話を思い出したのですが、ご先祖様は伊達のお殿様について仙台から愛媛に来たという話をきいたことがあります。
(文献や家計図は何ひとつありませんが。)
明治に入り、お寺から名字を変えるように勧められ、二階堂から二階戸となったようです。
お墓参りの時期になると、二階堂と書かれたお墓が気になるので、なんか書き込みしてしまいました。
おじゃましました。
私でよければ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月14日(日)19時52分6秒
返信・引用
お盆に相応しいお話ですね。11日無事ADSLに切り替えられたので、私でお役に立つようでしたら仲介しますよ。丸ちゃん。もしメールアドレスを他人に知られたくないということでしたら、当サイトのトップページ右下の釈迦堂口から入るとメールポストがありますので、こそりメールアドレスを私にお知らせ下さい。白石宗義さんと会う会わないは別としてメールを交換しては如何でしょうか。
夢の山門
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 8月13日(土)22時13分46秒
返信・引用
源次郎さん、こんばんわ
今回は、私のプライベートな話ですが、お付き合いください。私の母が亡くなったのが、
10年前になりますが、生存中、なにひとつ親孝行できず、母を亡くして、初めて自分の愚かさがわかりました。自分は何のために生まれてきたのだろうと、自分を責める毎日を送っていました。数年が過ぎたある日、母の夢を見ました。それは母が寺の山門をくぐる夢でした。私はその山門がどこかにあると信じ、あてもない、お寺巡りをするようになりました。坂東、秩父を歩き、観音様に手を合わせ、(母ちゃん、ごめんね)と何べんもつぶやき涙しました。しかし夢に出てきた山門は見つかりませんでした。翌年、地元栃木の寺巡りをしました。以外にも近いところに、その山門はあったのです。その風景に出会ったとき、感動というより、頭がしびれるような感触でした。その後にわかったことですが、その寺に我が家の、江戸時代からの祖先の墓があったのです。このようなことから私の歴史の旅が始まったのです。この話のつづきは次回に、源次郎さん、こんな話、ご迷惑でしょうが、付き合ってください。それから、丸ちゃんと交流持ちたいのですが、中に入ってもらえないでしょうか。
これからも宜しく
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月13日(土)07時56分41秒
返信・引用
編集済
リンク貼りましたので、ご確認ください。これからも福島県の戦国時代を扱ったサイトとしてお互いがんばっていきましょう。インターネットの利点は出版社などが取り上げないコアな情報を発信していけることですよね。
こんにちわ
投稿者:
会津坊
投稿日:2005年 8月12日(金)20時19分52秒
返信・引用
「奥会津戦国風土記」の会津坊です。源次郎さんのサイトは、前から見せてもらっていました。今は更新でグッタリしており、リンクについて、まったく何も考えていませんでした。これから考えたいと思います。
福島県の戦国武将を扱った歴史サイトは他県に比べて極端に少なく、源次郎さんには頑張って欲しいと思っています。
白石さんへ
投稿者:
丸ちゃん
投稿日:2005年 8月 1日(月)20時05分42秒
返信・引用
源次郎さんこんにちは。白石さん返信ありがとうございます。
源次郎さんが言われていた系図の冒頭はやはり陸奥ではなく常刈 小嶋邑 白石氏となっていました。
永井という姓にしては家紋が有名な永井氏とは異なりますし、親戚の家からでてきた系図にも白石氏となっているのを不思議に思っておりましたが、かなり昔から常陸太田の方に住んでいたようです。
系図は決して立派なものではなく従兄弟が仏壇を整理していて出てきたそうです。恐らく江戸期に書かれたもので一族の仕官に役立ったのではないかと推測しています。
戦国大名畠山氏
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 8月 1日(月)17時24分35秒
返信・引用
戦国大名畠山氏を掲上しました。8月上旬にフレッツADSLにする予定などで、どうにかそれまでに戦国大名畠山氏を仕上げようと考えていましたが間に合ったようです。屋内配線工事が終わり、設定が完了するまではご無沙汰するかもしれません。あとはよろしく!
丸ちゃん、はじめまして
投稿者:
白石宗義
投稿日:2005年 7月29日(金)02時01分0秒
返信・引用
源次郎さん、お久しぶりです。丸ちゃん、はじめまして。重要な情報をいただきありがとうございます。我が家の家譜の文面に次のように書かれています。(当家と家紋も同じで白石豊前守までは一致できそうであるが、それからあとは離れていって最後の三代は永井伊賀守家臣で終わっている。赤の他人ではないだろうが江戸時代流行った系図師に描いてもらったものが回りまわって当家に入ってきたものだろう。)このように書かれており、とても気になっておりました。すぐにでも丸ちゃんに会いたいです。
戦国大名畠山氏
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 7月27日(水)17時44分45秒
返信・引用
戦国大名畠山氏を3分の2ほど書き上げたので、8月上旬には出来そうです。
播磨
投稿者:
大名を探す者
投稿日:2005年 7月25日(月)08時33分28秒
返信・引用
まだ、誰かいるかわかりませんが一応聞きます。播磨の大名で知ってる人誰かいますか?
【松明あかし−炎のレクイエム】上映会のお知らせ
投稿者:
中西直登
投稿日:2005年 7月19日(火)11時36分1秒
返信・引用
7月21日(木)午後6時30分から下記にて上映されます。どなたでも入場できますので興味のある方はぜひどうぞ。
千代田区三番町8-7 第25興和ビル4F
ナックイメージテクノロジー
戦国大名大内氏
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 7月17日(日)12時46分47秒
返信・引用
少し気力が戻ったので、戦国大名大内氏を掲上しました。あとで訂正する部分があるかもしれません。
丸ちゃんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 7月14日(木)21時00分51秒
返信・引用
ご挨拶遅くなりましたが、訪問ありがとうございます。
白石さんは訪問の間隔が長いので、返事はもう少し後になりそうですね。
白石さんにとっては貴重な情報だと思いますので、ご覧になれば何か返事が来ると思います。それから書かれている系図の冒頭は、「常陸」ではなく「陸奥」の可能性はありませんか。
系図の信憑性ですが、ある先生にお尋ねした時に、その料紙・墨質・筆跡等を確認しないと何とも答えられないと言われました。それと系図に記載の内容が、他の根本史料(書状など)からも裏付けされるのかが重要な点となるでしょう。
白石さんへ
投稿者:
丸ちゃん
投稿日:2005年 7月 1日(金)19時16分8秒
返信・引用
たまたまこのサイトを見て白石さんの記述を見た物です。
母方の親戚の家から最近でてきた系図に「姓氏家系大辞典」に書かれているという記述と同じことが書いてあります。
母方の姓は永井といいますが、その系図の冒頭は「常陸 刈田郡 小嶋邑 白石氏代々先祖」となっていたと思います。(文体も古く不鮮明になっている部分も多いので内容は理解しきれていません)
私は歴史に詳しいわけでもなく系図の信憑性は分かりませんが何か関係があるのでしょうか。
訂正させていただきました。
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月28日(火)13時11分45秒
返信・引用
ご指摘のとおり、私も家督相続と追放の年齢を混同して記載した可能性が高いとの考えに至りましたので、九歳に訂正させていただきました。
たぶん私がまとめる際に混同したのだと思います。
ご指摘ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。
おそらく
投稿者:
凛太郎
投稿日:2005年 6月27日(月)21時54分17秒
返信・引用
晴綱が亡くなり義顕が白河氏の家督を継いだときが七歳だったので
それと混同されたのだと思いますね。
その二年後に後見していた義親に追放されています。
義顕はその後、1582年に芦名盛隆の斡旋で白河に帰り、
義親より領地の一部を譲り受けたそうです。
白河氏の実権は依然として義親にありましたが。
戦国大名白河氏について
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月22日(水)20時58分18秒
返信・引用
編集済
白河氏については「福島県史」、「白河結城家とその家臣たち」などを参考に記載したと思いますが、七若丸が七歳であったということを、どの書物から引用したかは、すぐには頭に浮かびません。暇があったら読み直してみます。
ご指摘のとおり、小峰義親については諸説があることは承知していますが、私のメインのテーマではないので一般的に支持されている説に従ったと思います。
あと白河氏については、戦前の皇国史観に基づいて書かれた書物もあるようで、白河氏についての位置付けを複雑にしている面もあるようです。
結城神社なるものもあるようでーーー。
仰るとおりです
投稿者:
凛太郎
投稿日:2005年 6月22日(水)14時08分55秒
返信・引用
確かに時代が時代だけに大名として生き残るのは難しいでしょうね。
伊達氏に帰服した諸々の諸大名は改易されたその後、伊達氏や佐竹氏に仕えたようですが、
二階堂氏の場合はどうなったんでしょうね?
ところで、白河氏の項で気になる点があったので一つ。
>天正三年(1575)正月、白河氏に内訌がおき、小峰義親は白河晴綱の七歳になる嫡>子七若丸(のちの義顕)を追放した。
とありますが、確か義顕は伊達政宗と同年の生まれであり、
追放された時義顕は九歳だったはずです。
細かい事ですみませんが、一応報告します。
その他、義親は実は晴綱の嫡子で小峰氏は名乗ってなかったとか、
義親の家督継承は曖昧な点が多いですが、(そもそも宗家剥奪ではなかったとの説もあるようです)
はっきり断定できる事ではないのでこれは独自の解釈でいいかと。
凛太郎さんへ
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月21日(火)19時48分29秒
返信・引用
はじめまして訪問ありがとうございます。
時代背景からして須賀川二階堂氏はたとえ伊達氏に帰服したとしても大名としては生き残れなかったでしょうね。
実際伊達氏に帰服した田村郡の田村氏、石川郡の石川氏、白河郡の白河氏はすべて豊臣秀吉の奥羽仕置によって改易されています。
歴史において、何が正しい選択だったかを考えることは難しいことです。
はじめまして
投稿者:
凛太郎
投稿日:2005年 6月21日(火)00時33分29秒
返信・引用
須賀川市在住の者です。
このようなホームページがあったのですか。
マイナー戦国大名の二階堂氏について詳しいホームページは珍しいですね。
二階堂氏は戦国の世に華々しく散った悲劇の戦国大名として知られてますが、
自分はつまらない意地はってないでさっさと降伏して生き残ればよかったのに、
くらいしか思ってないです(汗)
それでは。
友達の輪
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月18日(土)08時19分53秒
返信・引用
最近は更新が滞っていますが、このHPから友達の輪が広がっていくことは、何よりも嬉しいことです。
欲を言えばホーストレッキングに興味のある方の訪問があれば最高なのですが。馬に関しては我流ですから、いつも相談出来る人が欲しいと思っています。誰か知りませんか。
hirohisaさんともリンクしました
投稿者:
中西直登
投稿日:2005年 6月15日(水)23時30分17秒
返信・引用
貴兄のHPからたどって、hirohisa-satoさんともリンクさせていただきました。
祭の最中に、知らずにお会いしている可能性が高いことも確認しました。【松明あかし】の作品の中にhirohisa-satoさんが登場している可能性さえあるようです。
これも、webの楽しさですね。
貴兄のHPのおかげと感謝しています。
http://www16.plala.or.jp/centro-oeste/
修復確認しました 中西
投稿者:
中西直登
投稿日:2005年 6月12日(日)14時00分29秒
返信・引用
早速の修復ありがとうございました。今度はパーフェクトです。
北海道にお住いとか。私の訪問地は、札幌・函館・白老・帯広・更別・網走・紋別・砂川などです。お近くの町ありますか?
冬の紋別の海は印象的でした。
中西
http://www16.plala.or.jp/centro-oeste/
気付きませんで申し訳ありませんでした。
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月 6日(月)18時47分43秒
返信・引用
編集済
「大黒石口」の松明あかしの方も修正しておきます。
リンクありがとうございました。
須賀川短編映画祭も成功のうちに終了したとのことで良かったですね。私も見に行きたかったです。
事後承諾のお願い
投稿者:
中西直登
投稿日:2005年 6月 6日(月)11時10分2秒
返信・引用
小生のホームページの【松明あかし 炎のレクイエム】のページの最終コーナーで貴ホームページとリンクさせていただきました。うまく出来るかどうか自信が無かったのでとりあえずやってみての事後承諾ということでお願いします。
なお、大黒石口の「松明あかし」コーナーのリンクは、旧ホームページに行ってしまいます。
お手数ですがよろしく御変更を……
http://www16.plala.or.jp/centro-oeste/
福島史学研究のこと
投稿者:
半覚斎
投稿日:2005年 6月 4日(土)22時56分9秒
返信・引用
ご指摘を受けて、さっそく郡山市立図書館へ行ったんですが、なんと、その号は盗難され現在所在不明とのことでした。
なんて心ないことでしょうか、、多くの人々にその内容を伝えるべき書籍を公共の場から持ち去り私物化するなど、歴史愛好家のしてよいことではありません。とても悲しく、浅ましいことです。
仕方なく、福島市の県立図書館へ行き、コピーし、手許で製本し大事に所蔵しています。
また、蛇足ですが、この書籍は、中通りでは福島県立図書館と福島市立図書館にしか無いそうです。
よくお持ちですね。
改めまして、いつもの御教授に感謝いたします。これからも宜しくご指導をお願い申し上げます。
了解しました。
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月 4日(土)19時19分48秒
返信・引用
札幌から帰って来たばかりなので、少し時間ください。
変更届けです
投稿者:
中西直登
投稿日:2005年 6月 4日(土)14時21分7秒
返信・引用
しばらくこの世から消えていました。
メールアドレス、URL変更して復活です。
mail to;centro-oeste@peach.plala.or.jp
URL;http://www16.plala.or.jp/centro-oeste/
以上よろしく。
【松明あかし 炎のレクイエム】、すかがわ国際短編映画祭での上映、好評でした。
涙を流す人もいて、さすが地元とこちらも感動した次第です。
http://www16.plala.or.jp/centro-oeste/
訪問ありがとうございます
投稿者:
源次郎
投稿日:2005年 6月 1日(水)07時49分19秒
返信・引用
choさん訪問ありがとうございます。
二階堂姓は変わった苗字ですが、全国にいます。一般的には戦国大名となった須賀川の二階堂氏が有名です。薩摩の二階堂氏も一族で建長元年(1249)行久が薩摩郡阿多郡の地頭となったのが祖といわれています。江戸時代は薩摩藩士となり、「二階堂文書」を伝えたことでも知られています。
初めまして。
投稿者:
cho
投稿日:2005年 5月31日(火)01時38分27秒
返信・引用
お話の途中ですいません、たまたま検索で発見して感慨深かったものですから。
自分は二階堂姓なのですが、先祖の事などあまり知らずになんとなく、
検索で「二階堂」と入れたらここが出て参りまして。
詳しいことは知りませんが、ひょっとして自分の先祖と何か関係あるんでしょうかね。
よく苗字のせいか九州出身?と聞かれる事が多いですが、曽祖父によると、一時祖父が
関西に行った事はあるが、ずっと関東にいたとの事でした。
(多分政治家二階堂進や焼酎のせいでしょう)
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