投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>歴史 ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR] 在宅ワーク ハワイツアー 埼玉の求人・転職 seo 東京 インプラント
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全406件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  |  《前のページ |  次のページ》 

ありがとうございます

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年12月12日(火)08時10分27秒
返信・引用
アオレンジャーさん、わざわざのご訪問ありがとうございます。

相互リンクしていただき感謝申し上げます。

今後とも宜しくお願い致します。
 

リンク報告

 投稿者:アオレンジャー  投稿日:2006年12月11日(月)21時53分24秒
返信・引用
  源次郎殿、こんばんは。
「北緯36度付近の中世城郭」管理人 アオレンジャーです。
リンクありがとうございました。小生のサイトにも貴殿のサイトをリンクさせていただきましたのでご報告いたします。
雪が降る前にもう1度、須賀川地域の城巡りにいきたいのですが、中々時間が採れません。
じっくり回ってみたいものです。
では。今後ともよろしくお願いします。
(カウンター23000カウント目は小生がゲットさせていただきました。)

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/

 

行久と行栄

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2006年12月10日(日)20時21分39秒
返信・引用
  こちらのサイトを見る以前は盛義の子は盛隆,行親,行栄だけだと思ってましたが
行久は初耳ですね。
行栄は盛義の三男だとする文献はありますが,実は四男でしたか。
どうして行久と行栄は二階堂家を継がなかったのかが少々疑問ですね。
前当主(盛義)の妻が当主になるというのは
全国でも非常に稀なことだと思います。
ちなみに,行栄の読みは「ゆきひで」でいいのでしょうかね。
 

たぶん殺していないでしょう

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年12月 8日(金)17時47分27秒
返信・引用 編集済
伊達政宗は「伊達天正日記」などに出ている通り、逃亡した兵を鉄砲の的代わりにして殺したりするのを楽しんでいるような所がありますが。

たぶん守屋俊重は殺していないと思います。

伊達政宗は元来謀略好きですから、寝返った敵を殺してしまっては、次ぎに行う謀略がやりずらくなることぐらい考慮に入っていたと思います。

用済みになった時は分かりませんがーーー。
和賀忠親のようにね。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/welcome.html

 

お久しぶりでございます

 投稿者:タカオ  投稿日:2006年12月 8日(金)14時00分54秒
返信・引用
  守屋俊重と須田広秀の墓とされる「筑後塚」をHPで公開しておりますが、白石坂で殺されたというのは事実ではないのですか!?
ウチのHP修正しないといけませんね。

>守屋が憎くて地元の誰かがでっち上げたとも考えられますね。
たしかになんで守屋さんだけ殺されなきゃいけないの?って感じしますよね。
 

Re盛義について

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年12月 7日(木)17時06分46秒
返信・引用
  福島県史に載っている二階堂氏の系図とは、「福島県史第一巻」諸家系図の中の二階堂浜尾系図のことを指して言われているんですよね。

それによれば、二階堂盛義は天正九年七月二十三日三十八歳卒とありますね。

しかしその前の二階堂藤原系図の記載はどうですか、天正九年八月二十六日卒とだけあり、年齢はありませんね。

この二つの系図を比べると天正九年(1581)というのは一致していますが、月日はおおよそ一ヶ月違いますね。

二階堂浜尾系図の通りであれば、天文十三年(1544)生まれということでしょうが、それが正しいのか間違っているのかは私にはわかりません。
 

盛義について

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2006年12月 7日(木)12時27分6秒
返信・引用
  なるほど、伊達側に内応し敗因を作った
守屋が憎くて地元の誰かがでっち上げたとも考えられますね。

あと、福島県史に載ってる二階堂氏の系図では
二階堂盛義は天正9年(1581年)に38歳で死去、となってますが
それが本当だと盛義は天文13年(1544年)生まれになりますね。
 

Re守屋俊重について

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年12月 7日(木)08時07分20秒
返信・引用
  私は須賀川の伝説であって事実ではないと考えていますが。
俊重の息子までは伊達家で禄をもらっていたようですし。
 

守屋俊重について

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2006年12月 6日(水)23時38分40秒
返信・引用
  二階堂家の敗因を作った守屋俊重ですが、
俊重はその後政宗の手で殺されたという文献もあるようです。
実際のところはどうなのでしょうかね。
 

Blogをリニュアルしました

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年12月 4日(月)20時10分29秒
返信・引用
  源次郎日記として再出発  

盛秀の父

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2006年11月16日(木)04時03分32秒
返信・引用
  今更ですが須田盛秀の父は秀行というのですか。
初めて知りました。
 

コンテンツ追加

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年11月14日(火)22時59分42秒
返信・引用 編集済
  大黒石口に戦国武将の辞世というコンテンツを追加しました。
近日中に二階堂家臣団に主要家臣抄伝というコンテンツを追加予定です。
 

これからも

 投稿者:天道  投稿日:2006年11月14日(火)04時22分6秒
返信・引用
  よろしく!  

その通りですね

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年11月12日(日)09時11分18秒
返信・引用
  訂正しておきます。  

元号と西暦

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2006年11月11日(土)22時56分43秒
返信・引用
  凛太郎改めTOKOSUです。源次郎さんと紛らわしいのでHNを変えました。

たびたびすみませんが、「戦国大名二階堂氏の概説」で
天文11年(1544)五月二階堂晴行没、となってますが
天文11年は1542年だと思います。
ご確認いただいた上で訂正をお願いします。
 

御礼

 投稿者:高久田  投稿日:2006年11月 1日(水)09時59分56秒
返信・引用
   掲示板連続状態でお詫び申し上げます。
 細かいことを掲示板に記載するのは遠慮させて頂きますが、同じ苗字の親戚はない状態です。色々と辿ればわかることもあるのかも存じませんが・・。
 

やはり

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年11月 1日(水)07時52分15秒
返信・引用 編集済
  やはり高久田村発祥ですか。珍しい名字ですものね。
高久田さんの先祖も二階堂家臣ですね。
須賀川市市史編集室長を務めた高久田大一郎氏とは親戚にはならないのですか?
 

ありがとうございます

 投稿者:高久田  投稿日:2006年10月31日(火)22時14分7秒
返信・引用
  お忙しい中、早々に相互リンクありがとうございました。先祖は、高久田村(現在の鏡石町高久田)にいた事が、戸籍によりわかっています。  

了解しました

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月31日(火)18時58分3秒
返信・引用
  相互リンクとさせていただきましたのでご確認下さい。

高久田さんの先祖は須賀川市に居住していたのですか?
 

相互リンクのお願い

 投稿者:高久田  投稿日:2006年10月31日(火)16時00分30秒
返信・引用
   始めまして。高久田と申します。自分のルーツを探るうちにたどり着きました次第です。何かご存知のことがもしありましたら、ご教授願います。
 さて、当方も歴史関係のHP
 http://www.sys.gr.jp/sagami/rekishi/
 を主催致しております。

 リンクを張りました
 http://www.sys.gr.jp/sagami/rekishi/ranking.html
 ので、もしよろしければリンク願えますと幸いです。

http://www.sys.gr.jp/sagami/rekishi/

 

ホームーページ再開

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月24日(火)17時50分31秒
返信・引用
  どうにかアクセスカウンター以外は復旧したようです。  

迷惑をお掛けしています

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月24日(火)11時45分54秒
返信・引用 編集済
  10月20日からプロバイダーのサーバーが完全にダウンしていまして、ホームページにアクセス出来ない状態となっております。
完全に復旧するまでにはもう少し時間が必要のようです。
閉鎖や移動はしておりませんので、今しばらくお待ち下さい。    源次郎
 

源次郎さんへ

 投稿者:今泉  投稿日:2006年10月23日(月)16時18分8秒
返信・引用
  携帯からホームページをみていたのですが、二、三日前からみれなくなってしまいました。もしかして移動したのでしょうか?  

よろしくお願いします。

 投稿者:新高山  投稿日:2006年10月23日(月)11時53分25秒
返信・引用
  始めまして
この掲示板の皆さんの詳しい事に驚いています。
少し前の書き込みに 永井右近太夫の話がありましたが
私の姓も同じで家紋も一文字に三ツ星です。この辺では毛利の方が有名です。
徳川の家臣の永井の流だと昔本家筋から聞いた事があります。
宗家の末裔も横浜に残っておられるそうで家計図を作り直す時に本家の方が「訪問して見たのだが空襲で資料が焼けたらしい」と言っていたのを小耳に挟んだことがあります。
こういうのってもうわからないものなんでしょうか?
 

お返事ありがとうございました

 投稿者:今泉  投稿日:2006年10月19日(木)21時08分17秒
返信・引用
  そうだったんですね。私の曾祖父の調べでは、伊達に攻められたのち、今泉城より今住んでいる土地(須賀川市ですが)に移り住んだ、という事だったもので。手元に家系図がないので、今度実家に行った時にまた見せてもらって年代と照らし合わせてみたいと思います。なお、本も読んでみたいと思います。貴重な情報ありがとうございました。  

訪問ありがとうございます

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月19日(木)17時44分50秒
返信・引用 編集済
  今泉さん訪問ありがとうございます。
須賀川市にお住まいでしょうか?

今泉氏は二階堂為氏の岩瀬郡下向にも従ったとされ、古くからの二階堂氏の家臣と考えられています。
今泉氏については『藤葉栄衰記』に「今泉伊豆上意者事」「今泉伊豆博奕事」とその事蹟についても記述されていますので、『藤葉栄衰記』を機会があれば読んでみてください。

あと今泉城は永禄二年(1559)田村月斎に落とされるまでは、矢部氏が城主であったとされています。もともと矢部氏は大栗村・狸森村を本領としているので、ある時点に今泉村に移ってきたと思いますが、それ以前に今泉城が存在したかどうかも含めて、それ以前の城主についてはわかりません。
また天正十年(1582)今泉城を田村氏から奪還すると浜尾氏が城主となったようです。最後の今泉城主は浜尾駿河守盛泰ですが、天正十七年(1589)十月の須賀川城攻めの時に伊達政宗に臣従しています。翌年、豊臣秀吉の奥羽仕置によって伊達政宗が岩瀬郡などを失うと、盛泰も今泉城を出て伊達領に移ったと考えられます。

今泉城に由来するかどうかは別として、確証はありませんが、今泉という名前はたぶん岩瀬郡今泉村に由来する可能性が高いと考え、家臣団辞典では疑問形にはしていますが、そのように記述しています。
 

はじめまして

 投稿者:今泉  投稿日:2006年10月18日(水)23時01分33秒
返信・引用
  源次郎さん、はじめまして!自分のルーツを調べようと色々みているうちにここにつきました。内容の細かさにただ驚くばかりです。私の先祖が今泉伊豆守という事らしいのですが、岩瀬にあった今泉城とは無関係なのでしょうか?  

発送しました

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月16日(月)18時58分42秒
返信・引用 編集済
  今日発送しました。明日か明後日には着くと思います。

メールポストはトップページの右下方にある釈迦堂口から入るとあります。

義経の末裔ですか。
話としては面白そうですが。義綱(よしつな)と義経(よしつね)の勘違いかな。
確かいわき市の人でしたよね。

須田氏については「二階堂家臣団」のなかの「四天王について」と「家臣団辞典」の須田氏の項で記載していますので、そちらをご覧下さい。

それと不特定多数の人が閲覧するインターネット上ではハンドル名を記載してください。
私のハンドル名は源次郎です。
そちらは英雄でよいでしょうか。
 

不躾なTEL失礼しました

 投稿者:英雄  投稿日:2006年10月16日(月)13時25分59秒
返信・引用
  先日は、大変失礼致しました。英幸さんとは近戚か縁戚関係でしょうね
早々に英幸さんの著書を購読したく、小為替送付(10/11)致しましたのでご依頼の件宜しくお願い致します。
いろいろ相談したり情報交換させて頂きたく出来れば英幸さんのメールアドレスを教えて頂きたく
お願いする次第です。祖父が秋田出身の須田さんとも交流してまして盛秀直系で嫡流<角立て四目結>で昭和58年1月の福島民報新聞に義経の末裔である旨掲載してます。系図も完成されてるようで秋田天仙寺住職とも交流があるようです。当家等の<丸に角立て四目結>は分流だと言ってます。また
 

KUBOさんお久しぶりです

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月 6日(金)20時49分59秒
返信・引用
  思っていたよりも多くの図書館に蔵書されているのですね。
あまり参考にならないかもとのことですが、一応見てみたいと思います。
どうもありがとうございました。
 

その他に

 投稿者:KUBO  投稿日:2006年10月 5日(木)21時00分25秒
返信・引用
  ちょっと調べてみましたが、新潟大学付属図書館・国会図書館以外だと新潟県立図書館・長岡市立中央図書館・上越市立図書館・山形県立図書館・米沢市立図書館・東大史料編纂所図書室・国立歴史民俗博物館図書室等にあるようです。
 あまり参考にならないかも(^^;)
 

国会図書館は?

 投稿者:KUBO  投稿日:2006年10月 5日(木)20時34分55秒
返信・引用
  源次郎さん、お久しぶりです。

 これ↓でしょうか?
http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=2&INDEX_POSITION=0&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=239409555_7101668&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000007791773&SS=01&SSI=0&SHN=2&SIP=1&LS=239409555

 国立国会図書館であれば、登録利用者用IDを取得すれば、オンラインで複写を申し込むことが出来ますよ。詳しくはこちら↓をどうぞご覧下さい。
http://www.ndl.go.jp/jp/information/guide.html
 

求む協力者

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月 5日(木)16時53分58秒
返信・引用
  新潟大学大域プロジェクト研究資料叢刊5 上杉家分限帳−越後・会津・米沢
矢田俊之・福原圭一・片桐明彦編 新潟大学超域研究機構2005,3

この資料をコピーでもいいから手に入れたいと考えているのですが、どなたか協力していただけないでしょうか。

新潟大学付属図書館には蔵書されているようなのですが。
 

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2006年10月 1日(日)21時02分20秒
返信・引用
  木船城=狸森となれば
この四郎冶さんがが私の御先祖さまなのかも知れませんね。

どうやら源次郎さんと私は遠い親戚のようですね。
父の実家は大正だか昭和のはじめに曽祖父が
須賀川の町に出てきて木工店をはじめたのだが
それまでは山で木こりをしていたと聞いています。
でも二階堂氏の時代には武士だったのですね。
思いがけず先祖について知ることができ嬉しくおもいます。

私の先祖は陪臣で四郎治なる人の名前しかわからないようですが、
昨日ちょっと検索をかけたところ矢部氏というのは
鎌倉時代から続く名族であるようです。
http://www.sys.gr.jp/sagami/rekishi/yabe.html

もうひとつ質問させてください。
この四郎治なる人はいつごろの人なのでしょうか。
鎌倉時代から続く家名となれば当家も大した家であります。
どこに書いてあった記述なのかわかればなお嬉しいです。

木船城の写真ありがとうございます。
今度叔父の家にいった時に見に行ってみようと思います。
狸森には1度墓を見に行ったことしかありません。
 

Followどうも

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月 1日(日)19時14分17秒
返信・引用 編集済
  私の弟は金箔の位牌を拝見させていただいたそうです。
弟いわく、金の位牌で、すごかったそうです。たぶん金箔だと思いますが。
撮影はどうかわからないけど、身なりを整えて行き、適当な理由をつければ見せてはもらえるのでは?

境内の一画に須田氏のものとみられる五輪塔があると何かに出ていた記憶があるのでそれも是非見て来て下さい。
 

Re:金剛院

 投稿者:タカオ  投稿日:2006年10月 1日(日)18時56分16秒
返信・引用
  金剛院のあるあたりの住所が「館」や「宿」なので、このあたりにも須田氏に関連する城があったのかなと想像しています。
金箔の位牌、拝観させていただけるでしょうか?須賀川で有名な某お寺では住職らしき人に建物などの撮影はおろか「関係のない方は(土地の中に)入らないでください」と拒否されたことがありました。

たろうさん、はじめまして。
私のHPで木舟城の画像を紹介していますのでご覧になってみてください。
県道138号・母畑須賀川線沿い大森小学校の東向かい側の山です。大森小学校の児童らによって整備されたそうです。

http://www.geocities.jp/takao829/

 

Re(無題)

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年10月 1日(日)12時33分18秒
返信・引用 編集済
  たろうさん訪問ありがとうございます。
木船城は狸森城とも呼ばれているとおり、須賀川市大字狸森字館にあります。

たしか私の曾祖母も狸森の関根家の出だったと思いますが、関根家も矢部下野守の家臣だったようです。

大石内蔵助の家紋は巴でしたかね。下野国唐沢城主小山氏(藤原北家秀郷流)の支流だからたぶんそうだと思うけど。
巴紋は多くの家で使用している家紋なので、家紋だけでは家系を類推するのは不可能ではないですか。

狸森で巴紋といえば、○○○さんかな?
 

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2006年 9月30日(土)23時52分48秒
返信・引用
  木船城主矢部下野守の家臣の子孫と思われるものです。
木船というのは現在のどのあたりに当たるのでしょうか。
お教え願えましたら幸いであります。

当家(というほどの家ではありませんが)の先祖の墓は
狸森という飛行場のよく見える高台のうえにあります。
当家の先祖は何者であったのかと尋ねると、須賀川市在住の叔父は
まああんな山ん中住んでたのは落ち武者だべな。
源平だか南北朝だか戦国だか知んねけど。
紋所が同んなしだから大石内蔵助の縁者かもなといいます。
 

金剛院

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 9月30日(土)18時19分38秒
返信・引用 編集済
  和田へ行ったら金剛院も立ち寄ったらどうでしょう。
須田氏の菩提寺ですが、須田美濃守盛秀の父母にあたる須田美濃守秀行夫妻の金箔の位牌があるとのことです。
 

和田城

 投稿者:タカオ  投稿日:2006年 9月29日(金)21時15分55秒
返信・引用
  和田城については、大仏大橋の上からと城の東側から遠望のみ撮影しました。
和田の大仏も初めて実物を拝ませてもらいました。
それから姫宮神社にもお参りしてきました。
和田城は城内に入れそうなので後日近々攻略したいと思っています。
和田城のUPはそれからにしたいと思いますのでしばらくおまちくださいませ。

http://www.geocities.jp/takao829/

 

どうもありがとう

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 9月29日(金)19時54分20秒
返信・引用
  今後とも宜しく。
伏見館と須賀川城拝見しました。
伏見館と道路挟んだ反対側の和田の大仏のある山が和田城ですよね。
今回は寄らなかったのですか?
 

祝!2万件

 投稿者:タカオ  投稿日:2006年 9月25日(月)18時22分57秒
返信・引用
  こんにちは。ご無沙汰しております。
アクセス2万件おめでとうございます。さらなる発展をお祈りいたします。

HPの宣伝となってしまいますが、先日、伏見館(峰ヶ城)や第一次須賀川城などUPいたしました。お暇な時にでもご覧下さい。

それから、こちらのリンクページに貼ってあります福島県文化財センター白河館「まほろん」の文化財データベースは大変役立ちますね。地図や航空写真とにらめっこしなくてよくなりました。ありがとうございました。

http://www.geocities.jp/takao829/

 

アクセス2万件

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 9月10日(日)15時47分58秒
返信・引用
  今日、アクセス2万件を達成したようです。
多数の方のアクセスに感謝します。今後も宜しく。
 

なるほど

 投稿者:凛太郎  投稿日:2006年 9月 3日(日)03時23分56秒
返信・引用
  >須田主膳正永秀が白川長男刀之助を討ち取った

ああ、これは私も何かの文献で見ました。だいぶ前なので何かは忘れましたが…
1534年…義綱か晴綱が当主の時ですね。
はて、刀之助とは白河氏系図にも載ってませんし、誰でしょうね。
私自身でちょっと調べてみます。
 

Reお久しぶりです。

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 9月 1日(金)18時16分22秒
返信・引用 編集済
  「東白川郡史」、「石川町史」とも読んでいませんので詳しくは分かりませんが、「石川町史」が石川晴光が死んだのを天正八年(1580)六月二十五日としているのは「石川一千年史」を参考にしたからだと思います。自分は何を参考にして書いたか思い浮かびませんが、暇があったら調べ直してみます。単純な校正ミスかもしれませんが。

あと弘治年間や永禄年間に白河氏と二階堂氏が抗争したという古記録があることは承知していますが、それを裏付けるはっきりとした根本史料がなく、旧二階堂家臣の系図などにもそれについての記載が見あたらず、古記録によって記載内容もまちまちであることから当サイトでは白河氏と二階堂氏の抗争についてはあまり取り上げておりません。

なお須田氏系図には天文元年(1532)会津・伊達・岩瀬が白川と戦ったとき、須田主膳正永秀が白川長男刀之助を討ち取ったとの記載があります。当サイトでは天文三年(1534)としていて少し年がずれますが、これは「奥羽永慶軍記」でいう滑井合戦の時のことかと思います。
 

お久しぶりです

 投稿者:凛太郎  投稿日:2006年 8月31日(木)18時32分4秒
返信・引用
  私は趣味で戦国時代の白河結城氏について調べてるのですが、
「東白川郡史」で「二階堂氏と白河結城氏が争い二階堂氏が結城晴綱の次男を虜にした」という文章を見ました。
この次男とは誰のことでしょうかね。そしてその後、その次男はどうなったのでしょうか。
二階堂氏の文献にそのようなことが書かれてあるでしょうか?

もう一つ、気になった点ですが、「南奥州の戦国大名」の石川氏で、石川晴光の没年は1578年となってますが、
「石川町史」では1580年没、と記載されてました。
 

須田美濃守治則てか

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 8月22日(火)20時39分40秒
返信・引用 編集済
  こないだ須田美濃守で検索していたら、阿部酒造店という酒蔵から須田美濃守という日本酒が販売されているのを発見しました。ついにお酒にまでなったかという感じ!

ところで話は変わりますが、未だに茂木城主須田美濃守治則という記載をしているサイトなどを見かけますが、この治則という実名、江戸時代の好事家が茂木氏で最後の茂木城主となった茂木治良の実名からこさえたものなのだろうけど、デタラメが後世にこのように伝わるかと思うと怖いものがあるねえ。
須田家が秋田久保田藩に提出した系図でも須田美濃守盛秀以外は名乗っていない!

矢部氏の場合はもっとひどいことになっているけど・・・。
「奥葉仙道表鑑」と「奥州岩瀬郡風土記」の作者が悪いのか?
矢部氏の戦国頃の系とした部分で引用した文献を「姓氏家系大辞典」に記載しなかった太田亮先生も罪作りなことをしたよな。それとも引用した文献があまり信用のおけない軍記物だったということを記載できなかったのかな。軍記物の作者が創作した実名だけれども、まるでこのような系図が存在するかのような書き方をされているが、如何なものか。
「奥州岩瀬郡風土記」の記述ももっと正確に記載すべきだったし、誰が書いたかも分からないこの古記録の矢部氏が源姓であるという部分に対して、信用できないと語った上野玉三郎氏の言葉を真摯に受け止めるべきであったろう。なにせ矢部氏が源姓としているのはこの古記録しかないのだから!
 

ありがとうございます

 投稿者:保護者  投稿日:2006年 7月26日(水)22時30分50秒
返信・引用
  源次郎様。ご返信、ありがとうございます。

早速、史料編纂所のホームページにアクセスしてみます。お手数をおかけしました。
 

俳句募集中

 投稿者:大会事務局  投稿日:2006年 7月26日(水)16時14分41秒
返信・引用
  はじめまして。突然で恐縮ですが文化祭俳句大会の俳句を募集しております。
俳句を趣味にされております方々のご投句をお待ち申しております。

平成18年度東京都荒川区文化祭第47回 俳句大会作品募集

日 時    平成18年10月29日(日) 受付午前10時30分から
会 場      サンパール荒川 (都電・都バス荒川区役所前下車)

講 演    俳誌1,000号記念・里帰り講演「俳句に生かされて」
      俳誌「鹿火屋」主宰 原 和子先生

事前募集句
兼 題    雑詠(四季自由)二句一組 何組でも可 但し末発表作品に限る
      二百詰原稿用紙または便箋等に郵便番号、住所、氏名(ふりがな)
      電話番号を明記のこと

参加費    一組につき1,000円(定額小為替)
投句先    〒116-0012 東京都荒川区東尾久2-26-4 佐々木方

      荒川区俳句連盟事務局

投句締切  平成18年8月31日(木)  当日消印有効
   賞  入賞・入選50位 入賞、入選者には10月下旬迄に
      直接お知らせします

選  者  「ひいらぎ」主宰 小路紫峡先生  「麻」主宰 嶋田麻紀先生
「あすか」 主宰 野木桃花先生  「保」主宰 石井 保先生
「かびれ」 主宰 大竹多可志先生 10月に俳誌900号記念行事あり。
「燎」   主宰 山崎千枝子先生
中谷都俳連会長、他に墨田区、台東区、江東区、葛飾区等近隣区俳連会長
並びに荒川区俳句連盟正副会長


主催 荒川区・荒川区教育委員会・荒川区文化団体連盟
主管 荒川区俳句連盟・後援 東京都俳句人連盟
協力 東京都交通局荒川電車営業所

http://mk-labo.minidns.net/~arahairen/arahairen-osirase.html

 

東京大学史料編纂所

 投稿者:源次郎  投稿日:2006年 7月25日(火)18時56分1秒
返信・引用
  東京大学史料編纂所のホームページの大日本史料総合データーベースで「書目」にチェックして『随聞私記』を検索しましたが、所在諸本には記載がありません。
東京大学史料編纂所のホームページに「問い合わせ」というところがあるので、問い合わせてみては如何ですか。
Googleなどで東京大学史料編纂所を検索してみてください。
 

以上は、新着順101番目から150番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  |  《前のページ |  次のページ》 
/9 


[PR] アンチエイジング