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『中世城郭研究』第20号に、広長氏が「福島県郡山市とその周辺の中世城館」というタイトルで寄稿されている。
その中で芦名系陣城の指標的な城として郡山市の水神館をあげ、水神館と櫓台、土塁の折れなどの配置が須賀川市和田にある和田館も同じであると指摘していて、同時期に同一の設計思想で造られた城であると結論づけている。
ここで言う和田館とされる城は、和田にあるどの城館跡のことを指しているのであろうか。
「須賀川市史・中世編」にある和田大仏山に存在したとされる城のことであろうか?
「福島県の中世城館跡」「武者たちの舞台・上巻」には和田館という城館名は使われていない。
須賀川史談会の会長さんと大仏山の山上を実地調査されたアオレンジャーさんhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/fukusima/iwaseyama.htmから、大仏山の上には城跡であったといえる遺構はほとんど残っていないと指摘されているので、この論考に私は違和感を覚えた。
須賀川史談会の会長さんは、大仏山の山上には城館と呼べる防御施設はなく、須田氏の居城であったとされる和田城を、同じく和田大仏にある徴士館に比定しているようだが。
また、この論考では須賀川市下宿の御所宮館についても芦名系陣城とされているが、御所宮館は「須賀川市史」では鎌倉〜南北朝期の古い館跡であるとされていて、この論考の中では遺構の時代考証が正確になされているのであろうか。
御所宮館のこの部分が戦国末期に築かれ、その部分が芦名系陣城に当てはまる構造という話なんだろうか?
論考を読んだだけでは、私には良くわからない。
http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/
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