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 投稿者:浜田  投稿日:2009年 6月26日(金)15時56分26秒
返信・引用
  今回、伊達の家臣、浜田のHPを作りました。
ご意見を頂ければ幸いです。

http://hwm5.gyao.ne.jp/hamada-a/index.html

http://blog.goo.ne.jp/hamada_1944

 

HPリニューアルしました。

 投稿者:鈴木荘一  投稿日:2009年 6月14日(日)13時50分48秒
返信・引用
  「勝ち組が消した開国の真実」の鈴木です。
しばらく御無沙汰しましたが、
HPを大幅にリニューアルしました。
「幕末史を見直す会」というのを立ち上げ、
また第二作として「日露戦争と日本人」を
発刊したためです。
このため、HPは「日本近代史を見直す」に
変更しました。
日本が植民地にならなかった理由を考えて
いこうと思っています。

http://www1.parkcity.ne.jp/suzusou/

 

私もそう思います

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 3月12日(木)12時27分15秒
返信・引用
  私も同じ意見です。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/keize.html

 

大乗院の生没年

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2009年 3月11日(水)17時31分13秒
返信・引用
  国分ヒサさんの書いた
『松明あかし―須賀川・二階堂家の悲劇と女城主大乗院の物語』
という本では大乗院は慶長7年(1602)年に62歳で没となっています。
逆算すれば1541年生まれになるので息子の盛隆や弟の輝宗とも辻褄があってきます。
何の史料が元なのかはよく見なかったのでわかりませんが、
須賀川の史料の同年に42歳で没というのは誤植か何かでしょうね。
 

アクセス5万件達成

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 3月 8日(日)19時03分10秒
返信・引用
  いつの間にか、5万件を超えたようです。
今日も仕事だったので、気付きませんでした。
これからも宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/keize.html

 

遠藤壱岐守の諱

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2009年 2月28日(土)11時43分43秒
返信・引用
  伊達氏に仕えてから「盛胤」と名乗った可能性もありますから
そっちの方の史料も調べてみる必要はありますね。
余裕があれば、ですけど。
 

どうなんだろうね

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 2月27日(金)20時28分41秒
返信・引用
  wikipediaでしたっけ、盛胤と出ているの。
私が知る限りの史料では、見たことありませんが、どうなんだろうね。
相馬氏の名乗りみたいだね。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/keize.html

 

遠藤壱岐守の諱について

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2009年 2月24日(火)15時43分24秒
返信・引用
  以前調べてましたら
二階堂氏の家臣で後に伊達氏に仕えた遠藤壱岐守の諱は「盛胤」だと知ったのですが、
どうも諱が「盛胤」だという決定的な史料が見つかりません。
ネットで調べても同名の別人しか出てきませんし。
これってガセでしょうか?
 

須賀川二階堂氏の系譜

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 2月 8日(日)12時35分44秒
返信・引用 編集済
  私が2003年12月に自費出版した本と、翌年立ち上げたホームページ「戦国大名二階堂氏の興亡史」の中で、須賀川二階堂氏の系譜は為氏以前と、為氏以降の系統に連続性はないという考えを初めて提起して以降、私の考えについて歴史研究家・歴史マニアを問わず、少しずつ肯定的に捉えてくれる方々が増えてきていることは嬉しい限りです。

当時、このような考え方に立つ人は皆無でしたが、実は私同様に須賀川二階堂氏の系譜を一本の線で繋ごうとすると、かなり無理があるということを、以前から多くの方々が思っていたのかもしれません。

須賀川二階堂氏についての研究がさらに進展することを、これからも願っています。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/keihu1.html

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/keize.html

 

了解のこと

 投稿者:房総管領  投稿日:2009年 2月 7日(土)23時58分15秒
返信・引用
  恐縮です。
以後、上記HNでお邪魔致します。
 

房総管領さんで良いのでしょうか

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 2月 7日(土)21時54分4秒
返信・引用
  HNの改名、了解しましたが、房総管領さんで良いのでしょうか。

話は変わりますが、
源次郎は、年甲斐もなく最近power pointと格闘中です。
本業の勉強も少しやらないと、若い人についていけないと自覚しました・・・。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

ご挨拶

 投稿者:願証寺蓮淳(房総管領)  投稿日:2009年 2月 7日(土)10時43分57秒
返信・引用
  源次郎様
ご無沙汰致しております。
本日は、HNの改名のご挨拶に伺いました。
先祖の故地にちなんで、上記のように致したく思います。
(歴史上の人物をHNに使用するのは・・・というのが本心です)

それでは、今後ともよろしくお願いします。

最近は、昔の大河ドラマのボックス販売が続いて嬉しいです。
太平記に続き、風と雲と虹と・・・それに花の乱。
花の乱はマイナーな分野なので、是非購入して見直そうかと思います。
昔見たときは、それほど面白くなかったんですが、やはり時代背景に興味がありますもので。
 

わざわざありがとうございます

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2009年 1月10日(土)14時40分1秒
返信・引用
  そう考えると盛義の元服年は1556年頃ということですね。
それだと以前話題に出た
盛義は1544年頃の生まれというのにも結構辻褄が合いますね。
 

二階堂照行

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 1月10日(土)13時35分36秒
返信・引用 編集済
  この書状は、二階堂照行が息子盛義の元服に際して、白河氏から送られた祝儀に対する返礼状です。
年号は入っていませんが、(ろう)月十四日とあり、弘治二年(1556)十二月十四日に出された書状と考えられています。
弾正大弼照行と署名があります。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

没年について

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2009年 1月 7日(水)19時51分34秒
返信・引用
  二階堂輝行は、なぜか没年が1537年(中には1557年没というのも)
って記載されてる文献が多い気がします。
1537年没じゃ伊達氏の天文の乱に参加できないでしょうに・・・
 

開けまして

 投稿者:源次郎  投稿日:2009年 1月 2日(金)08時26分1秒
返信・引用 編集済
  おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
大晦日から今朝の8時30分まで仕事だったので、源次郎はこれから正月したいと思います。

TOKOSUさんお久しぶりです。
小林清治先生が輝行と書いてるのだから、どこかにその証拠があるのだろうと思って色々と探しました。
しかし、輝行と名乗ったという証拠が、どこを探しても出てこない、探せば探すほど照行としか出てこない、現時点では輝行と名乗ったという可能性は極めて低いと考えています。

元凶は、
江戸時代中期以降に成立したと考えられる『奥陽仙道表鑑』(書物によっては「仙道表鑑」とあるが、「仙道表鑑」という軍記物は存在しないのではないか)か『鎌倉管領所役応仁武鑑』なんだろうけど・・・(笑)
『奥羽永慶軍記』も輝行だね。

実際、伊達氏のように二階堂氏が将軍の偏諱を代々拝領して名乗っているという事実はないし、天文二十三年(1554)足利義藤が義輝と改名する以前に、既に二階堂照行と名乗ってることは書状などからも確実だしね。

TOKOSUさんも調べてみて下さい。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

お久しぶりです

 投稿者:TOKOSU  投稿日:2008年12月31日(水)11時08分11秒
返信・引用
  ちょいと気になったことがありまして。
二階堂輝行の名は照行が正しいそうですが、
室町幕府第13代将軍の義輝からの偏諱を考えれば
輝行の方が自然な気がしますね。
でも照行のほうが史料の信憑性が高いんですよね?
 

お悔やみ申し上げます

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年12月28日(日)13時45分32秒
返信・引用 編集済
  お父様が亡くなられたということですが、心からお悔やみ申し上げます。
私は宮城県の二階堂氏については良くは知りませんが、先祖についての伝承が伝わっているのですね。
当分、悲しく、そしてお忙しい日々をお過ごしになることと思いますが、落ち着いたら、また訪問してください。

それと、須賀川二階堂氏の家紋のことですが、一般には「三つ盛り亀甲に花菱」と信じられています。しかし、このあいだ須賀川の親戚とも電話で話したのですが、それも確たる証拠があってのことではありません。
知る限りでは、二階堂氏で現在「三つ盛り亀甲に花菱」を使用している家は無いようです。

では、失礼致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

弔い

 投稿者:さほ  投稿日:2008年12月28日(日)00時07分41秒
返信・引用
  この掲示版、まだ続いているんですね。
12月18日、父二階堂三郎が亡くなりました。
グーグルで名前を検索したらこのサイトにたどり着きました。
宮城県登米郡石越町の二階堂は私の親戚にあたりますが
須賀川の二階堂とは関係ないと聞いています。
家紋も違うし…宮城の二階堂の家紋は左三つ巴です。
鎌倉時代?に時の関東管領の命にそむいて関東の領地を没収され
東北に住んだそうです。
日蓮上人を鎌倉でかくまっていたのは先祖だと聞いています。
生前のこのサイトを知っていたら父にもっと話しを聞けたのに残念です。
時々のぞいてみようと思います。
 

ありがとうございます

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年11月12日(水)20時38分27秒
返信・引用
  願証寺蓮淳様
コメントありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

4周年、おめでとうございます

 投稿者:願証寺蓮淳  投稿日:2008年11月12日(水)17時40分6秒
返信・引用
  源次郎様
今後も二階堂氏に関することを、ここで参照させて頂きます。
では、失礼致します。
 

4周年目到達

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年10月28日(火)18時09分17秒
返信・引用 編集済
  当サイトも、どうにか4周年目を迎えることが出来ました。
多くの方々に、あらためて感謝申し上げます。

恒例ですので、過去1年間をアクセス解析で振り返ると・・・

どのような検索エンジンを利用して検索されているかというと、Googleが46.1%、Yahooが31.9%、MSNが8.9%、gooが7.8%、BIGLOBEが3.9%、OCNが0.7%、@niftyが0.7%となっています。

また、どのような検索ワードで検索されているかといえば、二階堂氏等が44.7%、戦国大名が24%、戦国が5.1%、大名3.6%、その他18.3%となっています。

初めて訪問される方が7割以上ですが、総アクセス数で見ると、当サイトを見放さないで1万回以上アクセスしてくれている方もかなりいます。

更新が進んでいるとは言えませんが、これからも宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

Re伊勢長島の願証寺

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 9月10日(水)07時25分45秒
返信・引用
  こちらこそ、宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

伊勢長島の願証寺

 投稿者:願証寺蓮淳  投稿日:2008年 9月 9日(火)22時32分34秒
返信・引用
  管理人様、こんばんは。

二階堂氏の件、
ご教示くださり、感謝致します。
今後とも、よろしくお願いします。

願証寺ですが、現在は寺跡しかありませぬ。
戦国期、伊勢の長島近辺は、
洪水や地震など、自然災害にあまり耐性は無さそうな感じでした。
そのような土地にあった願証寺ですが、
滅びのときは人の手によって・・・
人災によってなされるとは、まったくもって無常なるもの哉。

では、失礼致します。
 

願証寺

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 9月 7日(日)21時06分29秒
返信・引用
  願証寺というのは、三河一向一揆に関連する寺名だと思ったのですが、長島一向一揆の方だったのですね。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

はじめまして、願証寺蓮淳様

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 9月 3日(水)17時50分17秒
返信・引用 編集済
  願証寺蓮淳様、ご訪問ありがとうございました。
願証寺というのは三河でしたっけね。
「太平記」という言葉に、私も心踊るものがありますね。

お尋ねの二階堂道蘊(薀)のことですが、正式には二階堂出羽守貞藤、入道して道蘊と号したのですが、元徳二年(1330)一月二十四日引付頭人、元徳四年(1332)一月二十四日政所執事に補任されています。
鎌倉時代、岩瀬郡西部に所領があった二階堂行村の子孫と考えられていて、系図上は行村の曾孫に当たるようです。
また、鎌倉公方足利基氏の墓所である瑞泉寺は二階堂道蘊の開基と伝わっています。

岩瀬郡前田川(須賀川市前田川)の延命寺にある「前田川五輪坊石幢」(須賀川市文化財)という石碑に刻まれた内容によると、正慶元年(1332)霜月十日この地の武士三千五十人が逆修修行を営み出陣していますが、これらの武士を率いたのが二階堂道蘊と地元では考えられているようです。
正慶二年(1333)二月、二階堂道蘊は幕府軍六万の総大将として吉野山を攻めているので、その中にこれらの武士が加わっていた可能性もあるのでしょう。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

はじめまして

 投稿者:願証寺蓮淳  投稿日:2008年 9月 1日(月)21時25分46秒
返信・引用
  管理人様、初めての書き込みとなります。
よろしくお願いします。

最近、DVDの太平記を見て、二階堂道うん!?とかいう人物が登場していましたが、須賀川の二階堂氏とは別系統の人物なのでしょうか?

なんとなく気になりまして、書き込んでしまいました。

失礼致します。
 

和田館について

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 8月25日(月)08時32分41秒
返信・引用 編集済
  『中世城郭研究』第20号に、広長氏が「福島県郡山市とその周辺の中世城館」というタイトルで寄稿されている。
その中で芦名系陣城の指標的な城として郡山市の水神館をあげ、水神館と櫓台、土塁の折れなどの配置が須賀川市和田にある和田館も同じであると指摘していて、同時期に同一の設計思想で造られた城であると結論づけている。
ここで言う和田館とされる城は、和田にあるどの城館跡のことを指しているのであろうか。
「須賀川市史・中世編」にある和田大仏山に存在したとされる城のことであろうか?
「福島県の中世城館跡」「武者たちの舞台・上巻」には和田館という城館名は使われていない。
須賀川史談会の会長さんと大仏山の山上を実地調査されたアオレンジャーさんhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/fukusima/iwaseyama.htmから、大仏山の上には城跡であったといえる遺構はほとんど残っていないと指摘されているので、この論考に私は違和感を覚えた。

須賀川史談会の会長さんは、大仏山の山上には城館と呼べる防御施設はなく、須田氏の居城であったとされる和田城を、同じく和田大仏にある徴士館に比定しているようだが。

また、この論考では須賀川市下宿の御所宮館についても芦名系陣城とされているが、御所宮館は「須賀川市史」では鎌倉〜南北朝期の古い館跡であるとされていて、この論考の中では遺構の時代考証が正確になされているのであろうか。
御所宮館のこの部分が戦国末期に築かれ、その部分が芦名系陣城に当てはまる構造という話なんだろうか?
論考を読んだだけでは、私には良くわからない。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

訪問ありがとうございます

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 7月12日(土)16時57分52秒
返信・引用
  小頭@和平さん、訪問ありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

はじめまして

 投稿者:管理人  投稿日:2008年 7月11日(金)13時36分30秒
返信・引用
  初めてお目にかかります。

埼玉と群馬の一部のどちらかといえば無名に近い城館を探訪しております小頭@和平と申します。
今年の6月中頃より、福島の中通り方面に足を伸ばさせていただきました。
著名な城館を除きますと右も左も全く分かりませんので、その節には宜しくご教示のほどお願い申し上げます。

先ずはご挨拶のみにて失礼を申し上げます。

http://www.geocities.jp/tsukayan0112/top.html

 

ReどちらもOKです

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 6月 2日(月)22時34分40秒
返信・引用
  梁川で何か収穫があれば、また教えて下さい。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

どちらもOKです

 投稿者:菊地藤兵衛  投稿日:2008年 6月 2日(月)04時14分53秒
返信・引用
  紀伊国屋(仙台)で地方新聞社の出版物イベントがあり、運良く・・・
説明不足でした(^_^;)
菊地か菊池か・・・実は迷ったところです(ハンドルネーム)。
戸籍上は「地」ですが、これは明治の(苗字)届け出時の誤記で、明治以前は「池」だったようです。
従って、ハンドルネームも当初は「池」にしておりました。
ちなみに「藤兵衛」は高祖父の通称です。
「菊地藤兵衛」の名前でぴんとくる方がいれば・・・という願いを込めています。
ちなみに伊達市梁川の旧家に三つ扇の菊池氏があるという情報は「菊池藤兵衛」のハンドルネームを見た方からいただいたものでした。
実は私の苗字は「齊藤」ですが、墓石では「齋藤」となっていて、これもどちらで書いても正解?といったところでしょうか。
以上、蛇足でございました。
確かに家紋三つ扇から絞り込める可能性は高そうなので、とにかく現地に行ってみたいと思います。
 

Re武者たちの舞台

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 6月 1日(日)14時35分40秒
返信・引用 編集済
  菊地と菊池間違っていたようですね・・・すいません。
そうですか、一般の書店にもあるんですね。
私は福島民報社から直接購入しました。
内容は、その土地の郷土史家が書いていることもあり大変役立っています。
写真が多いのも魅力です・・・何せ北海道にいますから。
菊池氏なら鷹の羽が一般的な家紋でしょうかね・・・三つ扇は珍しいのかもしれませんね。
家紋が家系を辿るカギになりそうですね。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

武者たちの舞台

 投稿者:菊地藤兵衛  投稿日:2008年 6月 1日(日)11時52分15秒
返信・引用
  早速ご返信いただきましてありがとうございます。
以前、母の従姉妹が福島市内のある寺院で肥後菊池氏につながる偽系図?(^_^;)を見せられたことがある、という話を聞いたことがあります。
しかし、その従姉妹も5年ほど前に鬼籍に入りました(It was too late!!)
昨年、半日ほど旧福島市内の寺院をハシゴしてみましたが、見あたらず・・・(菊地、菊池、三つ扇さえ無し)
そうなると、あの広大な信夫山の霊園か〜〜〜と青くなっております(^_^;)
とりあえず、今年の目標は伊達市梁川への取材です。百聞は一見に如かず、だと思います。
ところで、先ほど仙台市内に買い物に行き、紀伊国屋書店で『武者たちの舞台』を手にとって見てきました。偶然の発見でした。
福島の歴史については疎いので、今後とも宜しくお願いいたします。
 

Reお邪魔します

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 6月 1日(日)07時08分56秒
返信・引用 編集済
  菊地藤兵衛さん訪問ありがとうございます。

江戸時代商家であれば、菩提寺ありそうですよね。
菩提寺がわかれば、過去帳辿れるのではないでしょうか。

梁川の須田氏が二階堂家臣であるかどうかは私にはわかりません。
梁川城は上杉氏の家臣須田氏が城主であった時期があるので、もしかすると信濃源氏井上氏支流の須田氏かもしれませんね。
家紋が決め手であると思います・・・四つ目であれば間違いなく二階堂旧臣でしょう。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

お邪魔します

 投稿者:菊地藤兵衛  投稿日:2008年 6月 1日(日)06時27分58秒
返信・引用
  家系研究協議会の掲示板では色々とありがとうございます。
貴HPを縦覧させていただきました。大変充実した内容に驚きました。
私も福島県には浅からぬ縁がありまして、母方の菊池氏、曾祖母方の三浦氏は旧福島市内の商家であったようです。しかし、(家系として)わかるのは明治までです(^_^;)
貴重なご縁があって、福島県伊達市梁川の菊池氏に家紋(丸に三つ扇)が同じ旧家があることが判明しました。
比較的近くなので(宮城県在住)すぐにでも訪問したいのですが、こういうときに限って忙しくなり・・・
一方、同じ梁川には旧家の「須田氏」があり、興味が持たれました。須田氏は二階堂氏家臣の有力者にもあるようですね。そのつながりは?関心が持たれました。
 

空港の管理人さんへ

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 5月19日(月)17時42分22秒
返信・引用 編集済
  正確には石陽史学会発行の「石川史談第10号」でした。
新潟在住の溝井さんが寄稿していて、溝井氏の系譜も少し載っています。
近郊の図書館に行けば蔵書しているのではないでしょうか。
もしも空港の管理人さんが読んだことがないのであれば、参考になるかもしれません。
ここに記載しようかとも思ったのですが、漢字が多く断念しました・・・(苦笑)。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

空港の管理人さんへ

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 5月17日(土)22時08分5秒
返信・引用
  空港の管理人さん、挨拶が遅れて申し訳ありません。改めて訪問ありがとうございます。
そうですか、「古代溝井系譜」という書物にはそのような記述があるのですね。
私は見たことがないので何とも言えませんが、その記述を裏付けするような古文書などが残っていると良いですね。
確か、石陽史談会の会誌にも、溝井氏についての系譜があったと思い探してみましたが、どこかにはあると思うのですが今は見つかりませんでした。
確か、それにも違う系譜内容が記述されていたと思います。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

(無題)

 投稿者:空港の管理人  投稿日:2008年 5月16日(金)09時56分18秒
返信・引用
  先日投稿の訂正です。墾田永年私財法は奈良中期(743年)の制定です。
溝井家初代の雨田求馬信勝は其の法律によって雨田湯殿に入ったと言われています。
筆頭家老の名前も訂正、溝井兵衛尉忠時です。田の字が一字余計でした。
忠時の三男主計が1070年頃には雨田家には養子に入っています。
 

雨田溝井家

 投稿者:空港の管理人  投稿日:2008年 5月15日(木)08時37分45秒
返信・引用
  (先日は自己紹介の挨拶もしないまま投稿しまして大変失礼しました。
私は福島県在住の「空港の管理人」と申します。雨田の溝井家、大森田郷土誌について
投稿されているので大変興味を持ちました。投稿の中で溝井家は雨田に移ったのは
二階堂氏没後ではないかと書かれていましたが、溝井家初代は雨田求馬信勝と言って
平安末期(1070年代)の墾田永年私財法によって雨田村を開拓土着、雨田を姓として
代官職(郡代)を勤め逢隈川東部一帯の為政者となる。
その後石川三芦城筆頭家老溝井兵衛尉田忠時の三男主計を養子に迎え、雨田湯殿に居住す。
主計は雨田を姓とせず溝井を本名とす。古代溝井系譜に明記あり(平安末期から溝井姓有)
 

空港の管理人さんへ

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 5月13日(火)18時25分38秒
返信・引用 編集済
  「無量寺墓地の過半が溝口家の墓地と見受けられる」という記述は、casさんが記述した内容であり、私が記述した内容ではないので真偽のほどはわかりません。
ただ私も雨田の無量寺墓地にいったことがありますので、その時のことを考えるとその事実は無いと思います。
そうですか、溝口家は新潟県新発田の出身ですか。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

雨田の溝口氏

 投稿者:空港の管理人  投稿日:2008年 5月11日(日)20時53分32秒
返信・引用
  去年の投稿の中で雨田の溝口氏について書かれてありましたが雨田地区は戸数290件弱の
部落で溝口家は10件足らずしかありません。無量寺墓地の過半が溝口家の墓地と見受けられる、と書いてありましたが間違いではないでしょうか?また溝口家は新潟の新発田の出と
聞いてますが?
 

しゃけさんお久しぶりです

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 4月30日(水)18時55分36秒
返信・引用
  あとで「新羅三郎義光流佐竹氏の歴史」訪れてみますね。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

お久しぶりです!

 投稿者:しゃけ  投稿日:2008年 4月30日(水)01時21分46秒
返信・引用
  お久しぶりです。相互リンクをしていただいております
「歴史と旅」の管理人のしゃけです。これまで私のサイトでは
「歴史と旅」といいながら、ほとんど歴史に関することは
取り扱っていなかったのですが、この度一念発起をして
「新羅三郎義光流佐竹氏の歴史」というページを作成しました。
もしよかったら、一度遊びにきて下さい。それでは宜しくお願いします。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage116.html

http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/

 

アクセス4万件達成

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 4月 9日(水)18時52分33秒
返信・引用 編集済
  昨日、アクセス4万件を達成したようです。

多くの方に訪れていただき、改めて感謝申し上げます。

過去1年間を、アクセス解析で振り返ると・・・

初めて訪問された方が依然として多く全体の7割以上です。

検索ワードで多いのは、戦国大名が28.4%、二階堂氏・二階堂が36.1%です。

訪問者が利用した検索エンジンは、yahoo40.2%、Google33%、MSN10.2%、BIGLOBE7.2%、goo6.1%、@nifty1.5%、OCN1.5%という割合です。

今後とも宜しくお願い致します。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

こんにちは

 投稿者:まがな  投稿日:2008年 3月26日(水)13時46分55秒
返信・引用
  こんにちははじめまして!  

宜しく

 投稿者:源次郎  投稿日:2008年 1月 1日(火)10時48分4秒
返信・引用 編集済
  明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
12/30〜1/3朝まで仕事なので、ゆっくりもしていられない源次郎でした。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

あけまして

 投稿者:タカオ  投稿日:2008年 1月 1日(火)00時37分8秒
返信・引用
  おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/takao829/

 

忘れていました

 投稿者:源次郎  投稿日:2007年11月12日(月)08時09分49秒
返信・引用
  タカオさん、ありがとうございます。
土曜日が「松明あかし」だったのですね。
土曜日・日曜日と休日当番で仕事だったので、すっかり忘れていました。
写真、来年を楽しみにしておきましょう。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/

 

松明あかし

 投稿者:タカオ  投稿日:2007年11月11日(日)19時40分50秒
返信・引用
  源次郎さんご無沙汰しております。
遅くなりましたが3周年おめでとうございます。

昨日は「松明あかし」でした。
撮影して写真をメールでお送りしたいと思いましたが、日中から生憎の天気で出かけるのをあきらめて…というか重い腰があがりませんでした(笑

http://www.geocities.jp/takao829/

 

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